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会長の現場奮闘記
リフォーム岐阜 昔を思い出しました
今日、岐阜市内で見つけた看板に昔のニガイ思い出がよみがえりました。
岐阜市則武付近で見つけた長良川決壊大洪水の時の水没水位が表示された看板に気づきましたので写真を車内から撮りました。
看板では道路からおよそ2m位です、現在では想像出来まい水位です。
昭和51年9月12日、当日は東濃の土岐津の市役所が現場でしたので、朝から大雨の中今から思えばチョット無謀だったのかも知れませんが、無理やり出かけた。
現場へついて作業をしていると、午後3時頃だと思いますが、市役所の職員から「今、岐阜市内が大変なようだから、早く帰ったほうがいいよ」と言われて、急いで中央道を走り、一宮インターで通行止めになっており、仕方なくそこで降りて岐阜市内に向かいましたが、21号線は長良川周辺で水浸し状態。急いで市内に戻り、あらゆる道を探しましたが何処も通行出来ずに、あちらこちらを走り回って腹が減ってきましたので市内の開いてる喫茶店に入りましたが、こんな状況でお店も混乱しており、お願いしてトーストを三人で食べてからやっぱり21号線に戻って水浸しの国道をゆっくり、ゆっくり走りましたが、とうどう穂積のヤナゲンの前で立ち往生。仕方なく車を道路に置いて歩いて国道を帰ろうとしましたら、何と私の胸まで水位がありました。
それでも頭に荷物を縛り付けて100m程進んだところで、救援物資を運ぶ大型トラックが来て、頭から大波をかぶり、そうだ!このトラックに乗せてもらおうと思いつき、無事トラックに乗せてもらう事ができて揖斐川までたどり着きました。
そこから堤防を走っている車に再びお願いして同乗させてもらい、何とかその日の内に無事帰る事が出来ました。
私の人生の中でも特筆すべき出来事でした。
岐阜市則武付近で見つけた長良川決壊大洪水の時の水没水位が表示された看板に気づきましたので写真を車内から撮りました。
看板では道路からおよそ2m位です、現在では想像出来まい水位です。
昭和51年9月12日、当日は東濃の土岐津の市役所が現場でしたので、朝から大雨の中今から思えばチョット無謀だったのかも知れませんが、無理やり出かけた。
現場へついて作業をしていると、午後3時頃だと思いますが、市役所の職員から「今、岐阜市内が大変なようだから、早く帰ったほうがいいよ」と言われて、急いで中央道を走り、一宮インターで通行止めになっており、仕方なくそこで降りて岐阜市内に向かいましたが、21号線は長良川周辺で水浸し状態。急いで市内に戻り、あらゆる道を探しましたが何処も通行出来ずに、あちらこちらを走り回って腹が減ってきましたので市内の開いてる喫茶店に入りましたが、こんな状況でお店も混乱しており、お願いしてトーストを三人で食べてからやっぱり21号線に戻って水浸しの国道をゆっくり、ゆっくり走りましたが、とうどう穂積のヤナゲンの前で立ち往生。仕方なく車を道路に置いて歩いて国道を帰ろうとしましたら、何と私の胸まで水位がありました。
それでも頭に荷物を縛り付けて100m程進んだところで、救援物資を運ぶ大型トラックが来て、頭から大波をかぶり、そうだ!このトラックに乗せてもらおうと思いつき、無事トラックに乗せてもらう事ができて揖斐川までたどり着きました。
そこから堤防を走っている車に再びお願いして同乗させてもらい、何とかその日の内に無事帰る事が出来ました。
私の人生の中でも特筆すべき出来事でした。
投稿者 ニットー株式会社 (2010年7月 1日 11:23) | PermaLink
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